R 196ページ、李白の「魯郡東石門送杜二甫」の件。(NHK 漢詩紀行、監修:石川忠久・著者:牧角悦子)

最後の方の「飛蓬各自遠 且尽林中盃」の所です。

中国の全唐詩などの原詩では 「林中」でなく、「手中」となっており、

実際に李白と杜甫が別れの杯を交わした時」となっており

李白一人の回想録ではありません。回想録と解釈するから「林中」も 訳せないのではないでしょうか。

よって、訳は「やがて二人は  飛蓬のように別れて遠ざかるであろう。

さあ、しばらく共に手中の盃を飲みつくそうではないか」となります。

       DVDも林中と読み 「森」と訳しているが これも ミスプリした本を踏襲すると云う間違った選択です。

  漢字には旧字の他に古字、俗字、更には「なまり字」というのがあるのです。

  どなたか 先人が「手」を「林」と読み違えたことが一番の原因ですが、

  林の中で酒盛りすれば 何万と云う蚊が群がってきて酒盛りどころではありません。

  酒飲みは 体温が上がり 普通人より余計に蚊がたかるのです。大陸特有のマラリア蚊もいます。

  春、秋なら血を吸うヒルもいるし、もし、これが冬なら マイナス10度の林の中、と云う事であり、これも

  酒盛りどころではありません。

  温帯地域の東京(本州)と云う町の環境にいるから 林が正しいか 「手」が正しいか、の判断を間違えるのです。

  現場が大陸であると云う認識が無いとそうなるのです。兎に角、全唐詩は 「」となっているのです。

  そして 中国の漢文の権威の訳は 「手中の盃を飲み干そう」なのです。

 

  教科書にも匹敵するNHKのDVDですので「一番ふさわしい字、解釈」が求められるということです。

   「間違いではない」のレベルでは困るのです。

 

日本人の感覚で解釈するよりも 中国の心をくんで 解釈する必要があると思います。

尚、杜甫は 李白と一緒に居たからこそ 李白が「魯郡東石門送杜二甫」を読んだことに対して

「春日憶李白」の詩を翌年 詠ったものと思います。

一度 別れた後の再開は無いのですから、そこに一緒に居なければ李白の詩を知りようがありません。

            

「魯郡東石門送 杜二甫」、李白。〔ろ郡の東 石門にて とにほを送る〕

              この漢詩の読み

醉別復幾日       すいべつ また 幾日ぞ

登臨偏池台       とうりん ちだいに あまねし

何言石門路       何ぞいわん せきもんの みち

重有金樽開       重ねて きんそんの 開く あらんと

秋波落泗水       しゅうは しすいに 落ち

海色明徂徠       かいしょく そらいに 明らかなり

飛蓬各自遠       ひほう 各自 とおし

且尽手中盃       しばらく 手中の はいを つくさん

 

この漢詩の訳

別れを惜しんで酒に酔うことを もう何日くりかえしたことか

高いところに登り景色を眺めたり 池や楼台をめぐりつくした。

(だが、別れてしまえば)どうして言えようか 石門の道で

再びまた 酒樽を開いて、一緒に飲むことがあろうと。

澄み切った秋の川の波は、泗水に流れ込み

海は、徂徠山の彼方で 明るく映えている。

風に飛ぶヨモギのような二人は やがて それぞれ別れて遠ざかるであろう

さあ、しばらく 共に手中の杯の酒を飲み干そうではないか。

          

*杜甫は両親から見ると長男である、しかし、一族の中では二番目なので

  杜二甫と呼ばれることがある。

*石門から北東 約30kに徂徠山があり、南東 約30kに泗水があります。

  尚、石門から徂徠山の先 約200k先に渤海、石門から真東には黄海がある(約200k)

  富士山の上空(海抜 約5k)からは 日本海が見えます。

  唐の時代、石門あたりの高い所からは 海が見えたのではないでしょうか。

  高いビルも無ければ、当時の人は 遠視ですし(現代人から見れば)、

  排気ガスが全然無い時代で 空気が澄んでいたから。
 


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