22、 200ページの「血汚遊魂」は、

血汚(けつお)の遊魂は、帰り得(え)ず」と読み下す方べきです。

即ち、「血で汚れた さまよえる魂は」となり、訳文に近いものと存じます。

「血は遊魂を汚して帰りえず」 読み下すと 帰れないのは 血になり、魂ではなくなります。

これでは 読み下しの役目をしていません。

 

「哀江頭」、杜甫

                 この漢詩の読み

少陵野老呑声哭       しょうりょうの やろう 声をのんで こくし
春日潛行曲江曲       しゅんじつ せんこうす 曲江のくま
江頭宮殿鎖千門       こうとうの宮殿 せんもんを とざし
細柳新蒲爲誰香@      さいりゅう しんぽ たが為にか緑なる
憶昔霓旌下南苑       おもう 昔 げいせい なんえんに下りしとき
苑中万物生顏色       えんちゅうの万物 がんしょくを しょうぜしを
昭陽殿裏第一人       しょうようでんり 第一の人
同輦隨君侍君側       れんを同じうし 君にしたがって くんそくに じす
輦前才人帯弓箭       れんぜんのさいじん きゅうぜんをおび
白馬嚼齧黄金勒       はくばは しゃくげつす 黄金のくつわ
翻身向天仰射雲       身をひるがえして天に向かい 仰ぎて雲をいれば
一箭正墜双飛翼       いっせん まさに おつ そうひの翼
明眸皓齒今何在       めいぼうこうし 今 いずくにかある
血汚遊魂帰不得       けつおのゆうこんは 帰りえず
清渭東流剣閣深       せいいは とうりゅうして けんかくは 深く
去住彼此無消息       きょじゅう ひし 消息無し
人生有情涙沽臆       人生 じょう有り 涙 むねをうるおす
江水江花豈終極       こうすい こうか あに ついに きわまらんや
黄昏胡騎塵満城       こうこん こき ちりは 城に みつ
欲往城南忘南北       城南に ゆかんと欲して南北を わする

 

この漢詩の訳

 

少陵出身の田舎親父である私は 声を呑んでむせび泣きしつつ

春の日に密かに曲江の奥深いところに行った

曲江の畔にある宮殿は全ての門を閉ざし

細やかに芽吹く柳、出たばかりの蒲の穂は いったい誰の為に緑色になったのだろうか

思い返せば 昔 天子が虹色の御旗を掲げて南苑(芙蓉苑)に行幸した時

御苑の全てのものは 喜びに いきいきと輝いたのだった

昭陽殿での第一人者である楊貴妃は

天子の乗り物に同乗し 天子に随伴し、天子の側にお仕えしていた(寵愛を受けた)

天子の乗り物の前に供奉している女官である才人は、弓矢を携えており

天子の白馬は 黄金の轡を噛んでいる

さっと身をひるがえして天に向かって雲を射ると

一本の矢は 瞬く間に つがいの鳥を射落としたのだった

明るいひとみと 真っ白な歯をした あの美女は 今どこにいるのだろう

血で汚れて さまよえる彼女の魂は 帰る所すらない

澄んだ渭水は東に流れ 剣閣(玄宗が落ち延びた成都の途中にある)への道は険しく深い

成都に避れた玄宗と、馬嵬で殺されて、そこに埋葬され留まることとなった楊貴妃とは
お互いに通じ合う術を無くしてしまったのだ

人と生まれて来て なさけある者は 胸を潤す涙を流すものだ

この川の水と 水辺の花は 尽きはてることがあるだろうか(ありやしない)

たそがれどき 都を占拠した賊軍(胡国の騎馬隊)が街中(長安の城郭)に砂埃りを上げている

(杜甫の家がある)城南の少陵へ行こうとしても 南北がわからなくなってしまった

 


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